- Wednesday 22 March 2006
- Filed under: Memorandum
Salvete. Ut valetis?
…何言ってんねん!って突込みが入りそうな始まりですが、「こんにちは、ご機嫌いかが?」
昨晩は、私が所属するRO劇団 『劇団おおざっぱ!』 から分家して別サーバーで活動してる姉妹劇団 『劇団すとらぐる?』 の公演日。
仲良しのさんま猫ちゃんの脚本で公演されるってことだったんで、喜び勇んで観に行ってきましたよぅ~♪
んで、早速感想なんだけど。
ごめん、言葉が見当たらないよ、さんま猫ちゃん!
感動を超えた感動? いやいや、そんな安っぽいもんじゃない。
彼女の 『想い』 が、それこそアローシャワーのように降り注ぎ、全身を突き抜けて、また舞い戻ってきて…その繰り返しのような。
前々から思ってはいたのだけれど、感性や抱えてる闇がとても似通ってる人のようで、だからこそ尚更、彼女の綴る言葉が、とてつもなく痛い。
昨晩は、その 『痛み』 の過程に居たけれど、一晩経って、『共用』、『同化』。
決して、『共感』 ではないところに、ご注目いただきたい。
人にもよるけれども、少なくとも、うちの主宰やさんま猫ちゃんは、自分の心の深層まで入り込み、自分の目の前に引っ張り出して直面し、1つ1つを検証~浄化のプロセスを経て脚本を練り上げてるように思う。
何故そう思うのかというと、私がそのタイプだから。
それは、想像もつかないほど残酷で過酷な作業で、でも、それを乗り越えれば、人々の心を打つ何かを生み出せ、自分も成長する。
私も以前、当時所属していた劇団のために脚本を書いてた時期があったんだけれど、この過程に耐え切れず、筆を折ったんですよ。
えぇ、そうです。逃げました。懺悔しますよ、認めます。
だからこそ、主宰やさんま猫ちゃんを心から尊敬するし、彼らの脚本に惚れ込んでます。
この日記のタイトルは、今回のさんま猫ちゃんの脚本のタイトルなのだけど、その名の示すとおり、ラテン語のレクイエムが組み込まれてます (Kyrie=憐れみの賛歌)
号泣し、画面が見えないと慌てて目を擦り、台詞を追ってはまた号泣の繰り返しだったんで確信を持っては言えないんだけど、多分 『Confutatis』 を引用していたんじゃないか、と (間違ってたらごめんね;>さんま猫ちゃん)
あの脚本にラテン語を組み込むという試みだけでもやるなぁと思うけれども、私の記憶 (引用部分の) が正しかったら、尚更、脱帽です!
『Confutatis』 っていうのは、『呪われし者達』 という意味で。
Confutatis maledictis,
flammis acribus addictis,
voca me cum benedictis.
Oro supplex et acclinis,
cor contritum quasi cinis:
gere curam mei finis.
呪われし者達が退けられ、
激しい炎の中に飲み込まれる、その時には、
祝福されし者達とともに、どうか私を御許に。
私は、灰のように砕け散った心を抱きつつ、
足元に跪き、平伏して懇願します。
どうぞ、終末の時を私にお計らいください。
…多分、こんな訳でよろしいかと (; ・`_・´)
正確な訳を知りたい人は、ググってくれたまえ!(自分でやれよって突っ込みは却下の方向で…w)
えーと。いや、実は。
こう見えても私、ローマンカトリックの信者だったりしまして。自分でも忘れがちなんですけどね (って、おぃ!)
入信の切欠が、当時、某大学の神学部に通っていたシスターと仲良くなったからで、彼女がラテン語を勉強してる時に、ちらりとかじらせてもらった事があるんですよ。
なもんで、ラテンというのは、全く見知らぬ世界って訳でもないんですね。わはは。
とにかくとにかく。
こんなんを見事に組み込めるなんて、見事に活かす文章を書けるなんて!
私が脱帽って言ってる意味、この一説を読めば、簡単に理解してもらえると思います。
んでもって。
今回、こうやってレクイエムを久しぶりに目にしたら、以前、私が座右の銘のように呟いていた散文の一説を思い出したので、それを 『さんま猫ちゃんに捧げさせて頂く』 という形でここに記して、本日の日記は終わりとしましょうか。
ちなみに、日本語の部分は、私の解釈を元に自分の言葉で創りあげた文章なので、正確かどうか定かではないですが、意味は間違ってないはずです…って、調べて載せろよ、おぃ (; ・`_・´)
quid est in hominis natura diu?
Cum enim id advenit, tum illud, quod praeteriit, effluxit;
tantum remanet, quod virtute et recte factis consecutus sis;
horae quidem cedunt et dies et menses et anni, nec praeteritum tempus umquam revertitur, nec quid sequatur sciri potest;
quod cuique temporis ad vivendum datur, eo debet esse contentus.
人という本質のその中に、一体何が最後まで残るというのだろう?
終焉が訪れた時、過ぎたもののそのほとんどは、跡形もなく消えて無くなったかのように見えるのに。
それでも残るものはあるのだ。
そう。美徳と善行によって達し得たものだけが。
時間も年月も消え去っていく。
過ぎ去ったこれらの時は決して甦らず、未来に何が起こるのかも、決して知ることはできない。
だからこそ、永遠の時の流れの中で、各自に与えられたその一瞬一瞬を、人は精一杯 『生き』 なければならないのだ。
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